Ari Shika's Blog

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『さいごの朝ごはん』


ようやく全部、上げることができた~
画像にすればよかった。
今更遅いけど。
今朝とりあえず上げたものを見たら、
順番がわからない状態でした!泣
本当に私はそそっかしくって駄目です。 
わかるように順番よく、
なおしました。


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私がこの絵本で伝えたかったことは
新聞社の人に話はしたんですが、やっぱりうまく伝わらなくて哀しかった。


「生き残った者の罪悪感」です。
戦争は、もう70年以上も前に起こったこととして
歴史として学んでしまう。


だから、「戦争」に対して今の私たち世代は
現実として捉えることが難しい。


けれど、「失った家族」への罪悪感や、
「助けられなかった」残像をずっと持ち続けて、喪失感を抱きつづけ「慙愧の念」を堪えている人は
今もいる、という事を伝えたかった。
目の前の家族が愛しくても、
両手広げて愛することが難しい苦しみ。


残酷にもある日突然消えてしまった事だけが、
悲惨なのではなく、
自分のせいかもしれないと思い悩む気持ちを
「話したり癒される相手なく」 
ずっと自分の中に在り続ける苦しさ
というものを私は描きたかったのだ。


戦争の非道さは、
戦場で兵士として命を絶たれた人だけではない。太平洋戦争は、
敵であった米国に、
無差別大量虐殺を目的とされ、
国土の都市7割が焦土と化すほど
焼き尽くされた。
そして、焼かれたのは
非戦闘員の子どもや女性たち。


この事実を現代の歴史の教科書は
正しく伝えていないように見られる。
まるで「敗戦」を認めなかった、
「降伏しなかった」日本が悪いように、
揶揄されている文章もあるが、
それは問題がちがう。


帝国陸軍が正しかったとも思わないが、
大量虐殺が戦争の名のもとに
「終結させるために」行われたという
理由付けを、「当然の報い」として
私は受け入れることは、できない。


長くなったが、自分の母の世代でも
「東京大空襲」により両親ともに見失い、
家族が、生きているのか?死んでいるのかも
わからない状況の中、
今を生きるしかなく、生きておられる人を
私は知っている。
自分の親戚誰一人もわからず、
兄弟すら記憶しない、
ただ生き残ったのだという。


 戦争は決して戦った人だけが酷い目に遭うわけではない。中東で、アフリカで、繰り返される内戦で悲劇を被っているのは、やはり民間人であり非戦闘員だ。
戦地に駆り出された人だけが
傷つくわけではない。


二度と戦争を繰り返すことを私は許したくない。


これからの未来においても
戦火に交じることなく
憲法にある通り


「恒久的平和を希求し、交戦権を放棄する」


この世界に稀にみる尊い精神が
未来においても守られてほしいと
ただ願うの50代のおばさんの思い!笑